京都御所

はい、京都御所です。広いです。
南から北に抜けたけど2kmぐらいありました。
と、いうか事前に予約して中に入りましたがね。










関係ある作品東方妖々夢東方星蓮船
関係ある人物・事柄など魂魄妖夢封獣ぬえ
概要:魂魄妖夢テーマ曲『広有射怪鳥事 〜 Till When?』

広有射怪鳥事(ひろありけちょうをいること)
太平記』巻第十二。
隠岐次郎左衛門広有が「以津真天(いつまで)」という怪鳥を射落とす話。
元弘3年7月、その年に全国にわたって伝染病が流行し甚大な死者をもたらしたため、元号建武へと変更された。
しかも秋口になると御所の紫宸殿(ししんでん)上空に「いつまで、いつまで」と鳴く怪鳥が出現し、その鳴き声は雲に響き人々の眠りを覚ました。
そこで諸卿は会議を開いて、二条関白・藤原道平の手下である弓の名手・隠岐次郎左衛門広有(おきのじろうざえもんひろあり)にその怪鳥を射止めさせるよう決定した。
広有は「肉眼で見えるくらいの大きさならば確実に射落とせる」と快諾し、彼は手下に弓矢を持ってこさせて怪鳥の現れるのをじっと待った。
8月17日、月がよく見える夜のことだった。
突如として黒雲が御所の上に立ち込めてきたのと同時に、その雲の中から炎を吐いているようなけたたましい鳥の鳴き声が聞こえてきた。
そして鳴き声と同時に稲光が御所を明るく照らした。
広有は飛んでいる怪鳥を鋭く睨んでおり、そんな様子を後醍醐天皇をはじめ御所の中の皆が見守っていた。
広有が遂に矢を放った直後、鳥は急降下し始め、鳴き声は上空二十丈(約6メートル)にまで聞こえるようになっていた。
すると雲の中で何かが当たった手応えがあり、直後に大岩が落ちたような轟音が聞こえ、怪鳥は仁寿殿の軒上から二つに折れ曲がって竹の台の前へ転落した。
その後1時間、人々は大声でそれを祝った。
射落とした怪鳥を見ると、頭は人間、尾は蛇の姿をしていたが、嘴の先端は曲がり鋭い牙を見せており、両足には剣のように鋭い蹴爪が生えていた。
羽を伸ばしてみると、大きさは一丈六尺(約5メートル)ほどにもなった。
広有は偉業は称えられ、「五位」の位と“真に弓を射るもの”を意味する「真弓」の姓を褒美として与えられ、大きな荘園を二つも手に入れた。


Till When?
「いつまで?」=以津真天
以津真天(いつまで、いつまでん)
餓死した人間が、その断末魔の苦しみゆえに変化したもの。
疫病が流行した年に現れ、死体の処理を急がせるように
「イツマデ」と鳴き叫ぶ。頭は人面。
妖夢のスペルカードには、餓鬼の名を持つものがある。
死体を葬らずに放っておくと、以津真天が飛んできて「いつまで、いつまで」と、
いつまで死体を放置するのかと呪詛を込めて鳴きながら死体を喰らうという。                        

元ネタwikiより



封獣ぬえ

平家物語』などに登場する正体不明の妖怪。
出現したのは一般には平安時代後期とされる。
猿の顔、狸の胴体、虎の手足、蛇の尾をもち、鳥のトラツグミのような気味の悪い声で鳴いた、などと言われる。
鵺の正体は源頼政の母だという伝説もあり、頼政の矢によって命を落としたという。 (また一説には、頼政の従者、猪早太の一太刀で切り殺され、摂津蘆屋の海に流されたとも。能「鵺」はこの伝承がモチーフ)
「鵺」は元々トラツグミのことを指す言葉で、「鵺の声で鳴く正体不明の妖怪」だった。
いつしか妖怪の名前が鵺だと思われるようになり、鳥の名前ではなく妖怪の名前として定着した。

元ネタwikiより